われ広島にありき
- カテゴリ: われ広島にありき
- 作成日: 2009/06/22 16:31:36
- 要約:
- ページ:
- われ広島にありき
1 945 年 8 月 6 日 ~8 月 15 日
z
船舶特別幹部候補生
石黒悦夫
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- 目次
1. 原爆の投下と黒カバン(マタイ 7:13-14) 2. 貯金局前(マタイ 6:24)
金によって人は救われない?爆心より 2 ?
ー2 ー ー4 ー ー5 ー ー7 ー ー9 ー ー 10 ー ー 12 ー
3. 見習い士官(?ペテロ 2:24)
戸板で運ぶ?火の下を走る?爆心より 0.6 ?
4.17 年海軍の軍人(?コリント 3:10-15)
爆心より 0.7 ?
5. 防空壕の三人(ガラテヤ 6:7-10)
かぼちゃの山?滅亡よりの救い?爆心より 0.4 ?
6. 女子挺身隊(ルカ 13:22-24,ヨハネ 14:1-6)
爆心より 1.2 ?
7. 夜火事救出と女医の祈り(?テモテ 4:1-2,伝道 3:11)
永遠を思う心を与えたまえ(34 年後関西聖会で知る) 爆心より 1.6 ?
8. 黒焦げの遺体(ヘブル 9:27-28)
この人たちはどこへ行ったのか?爆心より 0.6?1.0 ?
ー 15 ー
9. 水の話(0.9?の水筒) (ヨハネ 4:10,14, 黙示録 22:17) ー 17 ー 10. 老人の死と(水と血) (ヨハネ 19:34-35)
三日目に処理するために?爆心より 0.6 ?
ー 18 ー
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- 1. 原爆の投下と黒カバン(マタイ 7:13-14)
「人のうわさ話を信じるな。 」爆心より 2.5 ?
1944 年 9 月 6 日 , 小豆島の陸軍船舶特別幹部候補生隊に 16 歳で入隊しました。小豆島では 4 ヶ月の訓練を終えて , 各部隊に 転属命令が出て , 各々その部隊に 1945 年 1 月 20 日に行くこと になっていました。その日 , 空襲があり , 山陽本線の明石駅付近 が不通となり , 福知山線経由にて入隊時刻に遅れて広島駅に着く と , 憲兵が待っていて , 全員を軍用車で宇品港へ向い , 船で部隊に 到着しました。5 時間遅れの夕食を食べ , 整備部隊での訓練が始
まったのです。ここに集められたのは , 長男ばかりでした。長男 れました。6 月 10 日 , ひとりっ子である 4 人が , 広島市内の通信 は爆心地から 1 ?である) 。
だから , 整備するだけで , 特別攻撃隊にはなれないようにおもわ 部隊に転属となり , 彼らは喜んで出発しました(彼らの行った所 6 月 12 日 , 残りの我々も , 江田島の幸ノ浦の特別攻撃隊訓練 れらは爆心地から 13 キロであった) 。8 月 5 日 , 夜間演習で , 江
所へ転属が命ぜられ , 特攻隊員としての訓練が始まりました(わ 田島一周することになりました。先頭の船は羅針盤を持って行
きますが , 後続の舟は前の船の航跡を頼りに進みます。夜光虫が スクリューにかき回されて光ってくれるので , それを頼りに進む ことができました。6 日早朝に部隊近くまで来たとき , 警戒警報
が出て , 船を無人島の島影に避難しました。空襲警報も出ました が ,B29 の 3 機が通り過ぎただけで日本海に出たので , 警戒警報 も解除になり , 船を部隊に戻し , 内務班で朝食を食べ始めました。 一口食べたところで , ピカーと光が , 続いて爆風が砂浜を巻き上 げて飛び込んできました。皆 , 裸足で山へ逃げて広島の方を見ま した。かぼちゃ型のピンク色の雲がもくもくと上り , 白い雲が続 き ,1000m にも達したと言われますが , そのものすごい光景は ,
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- 筆には十分あわせられないほどです。その下で ,4 人の通信部隊へ 転属したひとりっ子は全員死んでしまいました。 その時 ,「こらっ , 裸足でなんじゃ。 」とどなられました。その
隊長の足を見ると , 裸足だったので , そっと指差しをしたら笑顔 になり ,「驚いたな。 」と言われました。広島で何があったのか , に最初に落ちた原子爆弾であったのです。 ガスタンクでも爆発したのか , と話しましたが , これが人類の上 それともしらず , 救援作業に 8 月 15 日の朝まで広島に居続け
なければなりませんでした。夜間演習をした中隊は , 昼まで内務 班で待機していましたが , 他の中隊は船舶で怪我をした人々を似 島へ運んでいました。我らは午後 2 時に宇品港に上陸し , 各班単 位で救援活動するように , と命令されました。陸上にあった部隊 はほとんど全滅の状態で , 宇品港の陸軍船舶練習部長が広島軍司 てくることが命ぜられ , 広島のことを知っている班員が道案内を すると言うので , 先頭に立てて進みました。 少し行くと , 彼が黒カバンを見つけました。班長として , 何が 令官を兼任することになりました。まず , 生きている人を救出し
入っているのか開けてみると , 東京市罹災証明ともう一つの市の バンを捨て , 港の方へ歩かれたのだろうと思います。そう言えば ,
罹災証明が入っていました。ここまで歩いてきても , 力尽きてカ 広島は原爆が落ちるまで空襲はなく , 安全な所と思われたので その時 , この原爆に打たれ , 救護所へ向われたのでしょう。人の うわさ話を信じたためにこの目に合われたことと思います。 聖書のみことば 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく , その道は広い からです。そして , そこからはいって行く者が多いのです。いの
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しょう。そのために , ここまで来て家をさがしていたのでしょう。
ちに至る門は小さく , その道は狭く , それを見出す者はまれです。 」
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- (マタイ 7:13 -14) 多くの人が行く広い道は , その終わりは死に至ります。地獄は 悪魔とその使いたちのために準備された火と硫黄の燃ゆる池で となります。 す。ここには死も投げ込まれ , 死ぬことなく限りなく苦しむこと 「狭き門より入れ」とは , 一人ひとり , 個人的に信じて入ること
です。そのいのちの路は , 細き路 , ひとりひとり信仰を持って進
んで行く路で , 主イエス様がともに歩んでくださいます。これを 見出す者は少ないと言われますが , 力を尽くして狭き門より入っ 様は , 罪人のために身代わりとなって十字架に架かってくださり , さったのです。 た人となってください。このいのちの路を開くために , 主イエス その流されし血により罪を赦し , 神の子となる特権を与えてくだ
2. 貯金局前(マタイ 6:24)
金によって人は救われない爆心より 2 ?
黒カバンを元の所に置いて , さらに進んで行くと , 貯金局が見 えてきました。鉄筋コンクリート造り 2 階建てで , 窓ガラスは全 部割れていました。道を見ると , 道路一面に貯金通帳がちらばっ ていたのです。今日でしたら , コンピューターで本局とすぐ決済 でき , いっぱいになった通帳は本局へ送ることはないのですが , め , 全部の通帳が満杯でした。 当時は本局へ送って新通帳に書き換え , 返送される時代だったた 皆で拾い集めて , 住所を見ると広島市となっています。毎月き
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ちんと積み立て , これで生きていくのに大丈夫と思われたかもし
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- れませんが , お金では人を救うことはできません。拾い集めた通 帳を貯金局のそばに置いてきました。 聖書のみことば 「だれも , ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで 他方を愛したり , 一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。 あなたがたは , 神にも仕え , また富にも仕えるということはでき ません。 」
(マタイ 6:24)
現在 , 人はお金に頼りすぎて , それがなくなると悲惨になり , 自 殺する人も多くなりました。しかし , 本当に人が生きるのは , 神 に , 太陽を , 空気を , 水を , 提供しておられるのです。その神さま さまの口から出るすべてのことばによります。神さまは , 私たち を認めないのなら , 私たちは希望が生ずるはずがありません。神 さまは私たちのからだも , 心の中で思うこともすべてをご存知で す。すべてを主に委ねて , 心から主イエス・キリストの十字架の 身代わりの死を私のため , と受けること , すなわち信じて受け取 るなら , 主なる神さまは罪の赦しといのちを豊かに与えてくださ います。
3. 見習い士官(I ペテロ 2:24)
戸板で運ぶ火の下を走る爆心より 0.6 ?
貯金局の前から北に向かって進んで行きました。何キロか歩い それから少し行くと , 一人の見習い士官が , 顔の右頬にハンカチ
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たころ , 左側の米穀配給所の地下倉庫から火柱が立っていました。
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- を当てて立っておられました。一本の木の傍らにいたとき原爆が 落ち , 木の葉が繁っていた , その隙間から顔の右頬と背中の二箇 所に光が当たったのです。そして「候補生 , このハンカチを取っ てくれ。 」と言われて口を開けてもらったら , 何と口の中からハン カチが見えていました。それで ,「私たちは衛生兵ではないし , 消 れまで辛抱してください。 」と言いました。
毒のものを持っていません。後方の救護班まで運びますので , そ どうして運ぼうかと考え , 日赤病院のコンクリート造りの建物 出し , 雨戸の戸板で運ぶことにしました。2,3 人の班員を連れて
から南は , 建て前したばかりの柱と梁の状態であったことを思い その辺りまで行って強い戸板を探し , 桟の折れていないのを見つ
け , 見習い士官の所まで戻ってさっそくそれに横になってもらい めたら , 見習い士官が「候補生 , 背中が痛い。 」と言われたので立 いていました。服を脱いでもらうと , 長さ 5 センチ , 幅 3 センチ
ました。6 人で担ぐこととし ,3 人は交代要員としました。歩き始 ち止まり , 下に降ろして背中を見ると , 服に二ヶ所小さな穴が開 ほどの水ぶくれが二つできていたので , 痛いはずとわかり , 右頬 を上にするために左を下にして横になってもらい , 再び歩き始め 地下から炎が出て , 西風で道路をはっているのが見えました。こ の炎のところを走り抜けるしか方法がないので , 一回休憩を取り , 元気になって一気に走りぬけようと提案し , しばらく休憩しまし た。再び戸板を担ぎ , 助走に入り , 炎のところではかなりのスピー ドが出ていたと思います。 ました。適当な時に交代しながら歩いて行くと , コメの配給所の
その後は救護班の所まで , 普通の歩みで運んで行けました。見 たって , いのちすら失っていたと思います。
習い士官は , もし木の陰に入ったときでなければ , 全身に光が当
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- 聖書のみことば 「そして自分から十字架の上で , 私たちの罪をその身に負われまし た。それは , 私たちが罪を離れ , 義のために生きるためです。キ リストの打ち傷のゆえに , あなたがたは , いやされたのです。 」
(I ペテロ 2:24)
見習い士官は右頬と背中 2 ヶ所に光を受けて傷を受けられただ
けで済みましたが , その木は原爆の光線を受けるや , 焼けて幹と 太い枝が残るだけでした。あたかもイエスさまが十字架で , 私た ちのすべての罪を赦すため , 身代わりに死んでくださったのと同 じです。あなたも , 主イエス・キリストさまを信じ , 救われてく ださい。
4.17 年海軍の軍人(I コリント 3:10-15)
爆心より 0.7 ?
見習い士官を救護班に渡して処置してもらうようにして後 , 戸
板を持ってまた北に向かって歩いて行きました。もう少しで市電 が広島駅の方へ右折する所に , やや広い幅の道があったので , そ こを右に曲がっていきました。少し行った所に , コンクリート製 の防火水槽があり(家庭用の風呂桶程度の大きさ), そこに二人 ました。 が飛び込んで身動きできない状態で , 全身やけどで死亡されてい さらに進んでいくと道路の中央部で倒れている男性を発見しま
した。近寄ってみると生きていることがわかり , さっそく戸板に め入ったので家に来ていた。朝食を家族で食べていたのだが , そ
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乗せると ,「わしは海軍に 17 年奉職しておる。呉軍港に修理のた
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- のとき家が上から押しつぶされ , 天井が落ちてきた。空襲のため にはがしてあったところが頭のところで , 両肩に竿縁が当たった ので , それをくぐりぬけ , 外にはい出してきたが , ここまで来たら 動けなくなった。家内や子どもは家の中だが , 助かったのか見て くれ。 と話されました。 」 指差された方を見ても , 全焼して灰になっ ているだけで , 人はわかりませんでした。それで「誰も見えませ ありました。この軍人は腰骨が骨折していて , 少し動かしても痛 いと言われます。戸板の上に何も置くものがないので , 辛抱して
んよ。 」と言うと ,「そうか , 家と一緒に焼けたんだな。 」と答えが
いただいて救護班のところまで歩き続けました。下着姿で食事を していたので , 軍服も皆焼けてしまったのですが , 艦長をされて いたと思われるので , 中佐か大佐ではなかったかと思います。 聖書のみことば 「与えられた神の恵みによって , 私は賢い建築家のように , 土台を すえました。そして , ほかの人がその上に家を建てています。し なりません。というのは , だれも , すでに据えられている土台の
かし , どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければ ほかに , ほかの物を据えることはできないからです。その土台と はイエス・キリストです。もし , だれかがこの土台の上に , 金 , 銀 , 宝石 , 木 , 草 , わらなどで建てるなら , 各人の働きは明瞭になりま
す。その日がそれを明らかにするのです。というのは , その日は 火とともに現われ , この火がその力で各人の働きの真価をためす からです。もしだれかの建てた建物が残れば , その人は報いを受 けます。もしだれかの建てた建物は焼ければ , その人は損害を受 けますが , 自分自身は , 火の中をくぐるようにして助かります。 」 (I コリント 3:10-15)
この聖書のみことばは , 永遠の国に入ってから地上にいる間に
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- なした行為によって送りました材料で , 自分の信仰で建てた家に
入ります。そのときのテストは地震ではなく , 火なのです。主イ 十字架を忍んでくださったのです。そうすれば ,, 木や草やわらし 人さんのように助けられ ,「自分自身は , 火の中をくぐるようにし て助かります。 」
エスを信じて永遠のいのちをいただきましょう。そのために主は か送っていなくて , 天の家は全焼してなくなっても , あの海軍軍
5. 防空壕の三人(ガラテヤ 6:7-10)
かぼちゃの山滅亡よりの救い爆心より 0.4 ?
海軍の軍人さんを救護班に渡してから , また生きている人を求
めて北上して行きました。今度は市電の右に曲がるところまで来 ると , そこに鉄筋コンクリート造りの防空壕がありました。入り 口は爆心地に反対側で , 小山のように土で覆ってありました。入 の防空壕に入っていたそうですが , 警報が解除になったのでほと んど外に出られたそうです。老人三人組は将棋をしていたので そのまま残って続け , そのときに原爆が投下されたのです。もの すごい音と熱さで , 防空壕の入り口の鉄扉もさわれないほど熱く なったため , 三人は外へ出られるまで , また将棋をしていました。 入り口の扉が手で開けられるようになって , 外に出てみると , そ こは住宅も , 商店も全焼してなくなっていました。三人は「まさ に今 , 浦島ですわ。 」と話しておられました。家も家族もいなくな り , 食べるものもないのです。そこへこの日 , この町内に配給を り口の前には , 土嚢で爆風よけがしてありました。多くの人がこ
命じられていた農家の人がかぼちゃをリヤカーに載せて持ってこ
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られました。 「わしら三人しか残っとらんで , こんなに多くはいら
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- ん。 と言っておられましたが , 農家の人は持って帰るのも困るし , 」
配給は頼まれたことなので置いていきます。かくて , かぼちゃの せず , 恐ろしい光線の直射も免れました。 聖書のみことば 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるようなかたではあ
山ができたのです。三人は財産はすべてなくしましたが , 怪我も
りません。人は種を蒔けば , その刈り取りもすることになります。 自分の肉のために蒔く者は , 肉から滅びを刈り取り , 御霊のため に蒔く者は , 御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行う のに飽いてはいけません。失望せずにいれば , 時期が来て , 刈り 取ることになります。ですから , 私たちは , 機会のあるたびに , う。 」
すべての人に対して , 特に信仰の家族の人たちに善を行いましょ (ガラテヤ 6:7-10)
永遠の国(死後のこと)には , 地上の持ち物は何一つ持ってい けません。ただ , 信仰だけです。神の怒りより逃れて救いにあず 主イエスさまを信じることです。 かり , 永遠のいのちを受けるためには , 神さまが準備された救い
6. 女子挺身隊 ( ルカ 13:22-24, ヨハネ 14:1-6)
爆心より 1.2 ?
割り当てられた地域の怪我している人の捜索は終わり , 宇品港 に帰ろうということで , 南下を始めました。広島市役所が鉄筋コ
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ンクリート造りで , 市電の通りからは , 少し東寄りに建っている
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- のが見えました。広島のことをよく知っている班員が , 市役所の 中を見ませんかと言うので , 見てこようとそちらの方へ向いまし た。
市役所は , 窓のスチールサッシはへし折れ , ガラスは皆割れて います。中を見ると , コンクリートに埋め込みになっていた根太 は焼けて溝になっていて , 床板は焼けて灰だけが残っていました。 書類も焼けたのだとわかります。コンクリートの本体以外は燃え たのです。 そこから , 本通りへ戻ろうとすると , 女子挺身隊の鉢巻をした 少女に出会いました。 「兵隊さん , 私の家は焼けてないし , 親もど うなったかわからないので連れて行ってほしい。 」と言います。 それで ,「自分たちは駅とは反対の港の方へ帰っていくところで , てもだめだと思う。女子挺身隊が行っておられる呉海軍工廠に 行って , 現状を説明して , そこにいた方がよいと思う。 」と駅の方 て歩いていく後姿を見送りました。 聖書のみことば 「イエスは , 町々村々を次々に教えながら通り , エルサレムへの旅 と言う人があった。イエスは , 人々に言われた。 『努力して狭い門 からはいりなさい。なぜなら , あなたがたに言いますが , はいろ うとしても , はいれなくなる人が多いのですから。…』 」 を続けられた。すると ,『主よ。救われる者は少ないのですか。 』 自分たちが今日どこで寝れるのかもわからない。それでついてき
へ歩いて呉市へ行くように勧めました。そして , 駅の方へ向かっ
(ルカ 13:22-24)
「 『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ , またわた
しを信じなさい。わたしの父の家には , 住まいがたくさんありま す。もしなかったら , あなたがたに言っておいたでしょう。あな
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- たがたのために , わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行っ て , あなたがたに場所を備えたら , また来て , あなたがたをわたし のもとに迎えます。わたしのいる所に , あなたがたもおらせるた めです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。 』トマス はイエスに言った。 『主よ。どこへいらっしゃるのか , 私たちには わかりません。どうして , その道が私たちにわかりましょう。 』イ
エスは彼に言われた。 『わたしが道であり , 真理であり , いのちな ることはありません。 」 』
のです。わたしを通してでなければ , だれひとり父のみもとに来 (ヨハネ 14:1-6)
朝 , 笑顔でお互いが「行ってきます。 「行ってらっしゃい。気 」 をつけて。 」とやり取りをして家を出たはずです。夕方 , 家に帰る たのです。兵隊でもすがりたい気持ちもわかります。 と家は全焼 , 家族の消息はわからず , 一人ぼっちになってしまっ 地上に生を受けた者は , 遅かれ早かれ死という門をくぐり , 永 遠の国に入ります。そのとき , 地上でなしたる行為に従って審判 されるのです。しかし , いのちの道があります。主イエス・キリ スト様の十字架を信じることにより , 罪の赦しと永遠のいのちを 持つ者とされるのです。死の門をくぐってから ,「しまった」と 言うことのないように , 今 , 主を信じて , 救われてください。
7. 夜火事救出と女医の祈り(II テモテ 4:1-2, 伝道 3:11)
永遠を思う心を与えたまえ(34 年後関西聖会で知る) 爆心より 1.6 ?
女子挺身隊の女学生を見送って宇品港まで帰ってきたら , 市電
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- の車庫(青空駐車である)の中の一輌が広島救援作業中の宿舎と いうことになりました。電車は窓ガラスは全部割れて床に散ら ばっているので , これをとにかく床に直接寝るのだから , 丁寧に
ほうきで掃除して場所を準備しました。夜間演習から続いての救 援作業だったので一刻も早く横になりたかったです。夕食が到着 したので皆で食べることができ , 一日どれくらい歩いたかなと話 していました。少し横になることができ , 日が西に傾き , 涼しく なってきたなと思っているところへ ,「石黒候補生おるか。 」と隊 長の声がしました。手にロープを持っておられました。 「今 , 日赤 病院のそばで火事が発生した。材木は死体焼却のために確保しな ければならないので , 引き倒して火事から離れたところに置いて 延焼を防げ。 」との命令でした。さあたいへん , 今日はこれまでと のいない火事現場へ。 思っていた班員も , 火事と聞くとちょっと緊張しました。消防隊 日赤病院は鉄筋コンクリート造り 2 階建てで , 窓のスチール 庭にテントをはり , 入院中の傷病兵を看護しておられました。そ
サッシがくの字に折れ曲がり , ガラスは全部割れていたので , 前 れから南は建前したばかりの柱と梁だけの家が建っていました。 屋根も , 壁もみな爆風で飛んでいったのでしょう。日赤病院に近 元に人が倒れているのがわかりました。ロープを置いて , 邪魔な と , 真っ黒な泥水が口から出てきます。壁土が爆風で口に飛び込 み , 家の下敷きになって 10 時間もそのままだったのです。二度 目に水を飲ますと , 少し汚れた水が出てきました。三度目は , う い , その後に救護班へ送りました。 い家に , ロープを肩に登っていこうとすると , 火事の明かりで足 ものを除き , 抱き起こして道路の方まで運び , 水筒の水を飲ます
がいをし , よくなっていたので水筒の水をほしいだけ飲んでもら 再度 , ロープを肩に 2 階へ上がり , 柱に縛りつけ , ロープを下に
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降ろして皆で引き倒しました。ロープを解いて次の家に向います。
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- 燃えている家のほうへ近づき , 人がいないか皆で確認し、上に上
がり , 柱にロープを縛りつけ , ロープを降ろしてまた引き倒しま す。これを繰り返し行ない , 火事のそばまで行って終わりとしま した。多くの材料が確保できたのです。 そのとき , 日赤病院にクリスチャンの女医さんが二人おられて ,
私たちの作業を見ながら , 二人心を合わせて「永遠を思う思いを した。
入れてください」と祈られていたことを 34 年後の集会で知りま
聖書のみことば 「神の御前で , また , 生きている人と死んだ人をさばかれるキリス ト・イエスの御前で , その現われとその御国を思って , 私はおご そかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪く
てもしっかりやりなさい。 寛容を尽くし , 絶えず教えながら , 責め ,
戒め , また勧めなさい。 テモテ 4:1-2) 」 (II 「神のなさることは , すべて時にかなって美しい。神はまた , 人の わざを , 初めから終わりまで見きわめることができない。 」
心に永遠への思いを与えられた。しかし , 人は , 神が行われるみ (伝道者 3:11)
コンクリート造りの塀があり , それを越えて外にも来れないし , 話しかけることもできない状態で伝道することは困難であると思 います。しかし , 女医さんたちは , 私たちが特攻隊であることも
聞いていたのです。それで何とか永遠のことを考えるように祈り
をささげられ , 敗戦後 , クリスチャンの友人にも話されたのです。 死後はどうなるかと考えるなら , 聖書を読んで , 神さまの愛の呼 びかけに心から応答するべきです。
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永遠を思う思いは , 創造主の神さまが与えようとされています。
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- 8. 黒焦げの遺体(ヘブル 9:27-28)
この人たちはどこへ行ったのか爆心より 0.6 〜 1.0 ?
8 月 5 日夜は夜間練習で夜通し海上訓練 ,6 日夜は火事現場で
家を 1 棟でも多く引き倒し , 材料として残そうと徹夜作業となり ました。電車の宿舎に戻り , 横になったらすぐに朝日が昇ってき ました。みんな疲労していましたが , 被害が全市に渡り , たいへ のかと心構えをしていました。すると , 隊長が来て , 昨日 , 生きて 体となった人々を一つ所に集め , 木材材料をサンドル組みにし , その上に載せて焼却すること , 命令されました。
んなことになっていることで , 指令が来たら , 今日はどこに行く いる人を救護班まで連れてくるよう指示された範囲において , 死
まず , 班員とともに , どこに焼却する場所があるか , 一回りにし に設置することにしました。昨日確保しておいたところへ戻り ,
て , 町内会のラジオ体操でもしていたような広場を見つけ , ここ 肩に担ぐことを 3m くらいの柱は自分が一人で担ぎ , 梁のような 4m くらいあるのを , 班員 2 人で前後を担ぐようにし , 一回に 5 本は運べることになりました。1 日がかりで 6 段くらい積み上げ
ることができ , 明日からその上に死体を載せることになります。 近くの遺体を見に行き , どのようにして運ぶかを考えました。見 ると , 手も足もない , 頭蓋骨から腰骨までで , 手の骨も , 足の骨も かり , みんなで戸板をさがし用意しました。
ない , 黒焦げの遺体でした。傷ついた人を運んだ戸板がよいとわ
私は , この人たちはどこへ行ったのか , と疑問がわき , 班員に聞 いたところ ,「そんなこと , 年長の班長の方が知っているやろ。わ しらはてんでわからんわ。 」と答えられ , ひとり自問自答したもの です。それから 3 年後 , 美濃ミッションに大工仕事で追分教会へ
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- 行ったとき , 聖書を読むようにと新約聖書をいただき , 読み始め ま し た。 そ の と き の 広 野 先 生 は 2007 年 8 月 31 日 ,100 歳 8 ( ヶ月で主のもとへ召されました。 ) 聖書のみことば 「そして , 人間には , 一度死ぬことと死後にさばきを受けることが 度 , ご自身をささげられましたが , 二度目は , 罪を負うためではな く , 彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。 」 定まっているように , キリストも , 多くの人の罪を負うために一
(ヘブル 9:27-28)
広島で亡くなられた多くの人々は , はたして聖書を読み , 永遠 のことを知っていたのならば幸いですが , わかりません。あの時 , 死後にどんなことがあるのかわからず , 心が乱れたことを思い出
します。聖書の光に感謝。人には死ぬことと , 死後に創造主の神 さまの御前に審判されます。今まで神さまのことを知らず , しな 遠の滅亡へ行くしかないとわかりました。キリストさまは , この ければならないことも知らず , このまま死ねば , 死後の審判で永 望みのない私を救うため , 十字架かに架かり , 身代わりに罪の罰 を受けて死に , 三日目によみがえり , 私が義とされることの保証 となってくださいました。今度 , 主イエスさまが来られる時 , 私 ことができます。主を信じて救いを受けましょう。 は空中で主を迎えることができ , それより永遠に主とともにいる
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- 9. 水の話(0.9?の水筒) (ヨハネ 4:10,14, 黙示録 22:17) 毎日 , 材料を運んで広さ 6 帖ほどのサンドル組みを作り , そこ
へ黒焦げの遺体を置きます。 一回に 300 体くらいを積み上げます。 それに本部から渡されたガソリンをかけ , マッチで火をつけると , それを見守りながら私たちは食事の時となります。ところが , 本 部からは , 本部より給水される水だけで , 広島の水を飲むな , と指 ではとても水不足です。弁当は竹の皮に入れた握り飯でしたが , 水は別にいります。 令が来ました。水筒は 0.9?しかありません。24 時間で 0.9?
それで , 遠くの水道で (給水管の立っている所) 冷たい水になっ ,
てから水筒に入れ , 他のところで飲むということにして , 本部か らの水と言うことにしました。水源地を考えたなら , 広島市内な ら , 停電だし , 設備も爆弾でだめになっているはずです。今でも
水が出るということは , 水源地は山の向こうであり , 空襲で施設 が被害を受けていないので給水が続いていると考え , 飲むことに したのです。日陰はないし , 熱いし , みんなの背中は汗で塩がふ
いています。自分もそうだっただろうと思います。とにかく , 広 島に上陸して , 着替えなしなので , 皆 , 汗で汚れたまま , それでも , 任務がいつになったら終了できるか , と心に思っていました。 聖書のみことば 「イエスは答えて言われた。 『もしあなたが神の賜物を知り , また , あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていた 人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。 」 』 なら , あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその (ヨハネ 4:10)
「 『しかし , わたしが与える水を飲む者はだれでも , 決して渇くこ
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とがありません。わたしが与える水は , その人のうちで泉となり ,
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- 「御霊も花嫁も言う。 『来てください。 』これを聞く者は ,『来てく ださい。 』と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほし い者は , それをただで受けなさい。 」
永遠のいのちへの水がわき出ます。 」 』 (ヨハネ 4:14)
主イエスも井戸のそばで渇いておられました。そこへサマリヤ 「この水を飲む者はまた渇かん。されどわが与える水を飲む者は , 永遠に渇くことなし」と話されました。サマリヤの女は主をキ リスト(救い主)と信じて , 町の人に証しをしました。また , 黙 で , 私たちの身代わりの死をとげ , 三日目によみがえり , いのちを しょう。 の女が水を汲みに来たので , 水をくれるよう求められ , その後に
(黙示録 22:17)
示録にあるように , この水は価なしに提供されます。主が十字架 保証してくださったのです。主イエスを信じて救いにあずかりま
10. 老人の死と(水と血) (ヨハネ 19:34-35)
三日目に処理するために爆心より 0.6 ?
指令された範囲を一巡するうちに , 範囲の北限と思うところに みましたが , からだが硬直していたのです。そのとき , 家族は広
浴衣を着た老人が横たわっているのを見つけました。揺さぶって 島で生活していて , この方は田舎で暮らしていたのか , 家族の安 否を知ろうと来てみたが , 家は焼失し , 家族の安否もわからない ことでショック死されたのかなといろいろと考えました。それで , 誰かが尋ねて来て , 遺体を引き取られることもあるかと思ったの です。
で , そのままにしておいて , 黒焦げの遺体から整理していったの
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- そして , 三日目の朝になり , 老人のことが気にかかってきたの で班員と一緒に戸板を持って行きました。すると , やせたからだ だった老人は , 腐敗が進み , 膨れ上がって , 浴衣は取られて下着だ けでした。引き取り手がないとわかったので , 戸板に乗せようと ,
棒でからだを動かそうとしたら , 皮が破れ , 死臭がして水が流れ 出てきたのです。よく見ると , 赤血球だろうか , 赤いものが浮か までなったので , 戸板に乗せて運びました。 んで出ていました。からだは風船のように縮んで , 元に近い姿に 結局 , この人だけが性別を書けたのです。その他はすべて不明 でした。軍医が廻って来て ,「子どもは何もなくなっている。大 人でも水分がなければ , これくらいになるのだから」と記録を見 りました。三遺体を一度に運んだのに , 大人であったとは…, 人間 のからだのほとんどが水分であることがわかったのです。 聖書のみことば 「しかし , 兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺し た。すると , ただちに血と水が出て来た。それを目撃した者があ かしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が , あなたがたにも信じさせるために , 真実を話すということをよく
て , 子どもとしてあるのを見て , 大人に直せと言われることもあ
知っているのである。 (ヨハネ 19:34-35) 」 3 年後に聖書を読むことができ , 聖書の記述の正確なことを知
りました。もし血だけが流れたと記されていたなら , ちょっと首 をかしげたかもしれません。この記述が , 広島で見た老人と同じ であったことで , 聖書を確かに信じることができたのです。 主イエスが , この罪深き者のために口を開かず , 不法なる裁判 で死刑として処せられたこと , 自分が当然その苦しみと罰を受け なければならなかった身代わりとなってくださったのです。
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- 追記
広島の生き地獄を通して , 創造主なる神さまが , 主イエス・キ リストを信じて救われるようにこの者を導いてくださったことを
感謝しています。また , 広島の救援作業より 60 年を経て , この記
録を記すことができたことも感謝です。願わくは , 読んでくださ を望んでおります。
る方々が , 救い主イエスを見出し , 信じて救われてくださること
表紙写真 :1945 年 1 月 12 日広島へ転属前休暇に大阪にて母と 2005 年 8 月 6 日 2008 年 9 月 12 日改編(81 歳) 三重県鈴鹿市南堀江一丁目 8 番 8 号 石黒悦夫 Tel.0593 -85 -0507
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