われ広島にありき
- カテゴリ: われ広島にありき
- 作成日: 2009/06/22 16:31:36
- 要約:
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- 1. 原爆の投下と黒カバン(マタイ 7:13-14)
「人のうわさ話を信じるな。 」爆心より 2.5 ?
1944 年 9 月 6 日 , 小豆島の陸軍船舶特別幹部候補生隊に 16 歳で入隊しました。小豆島では 4 ヶ月の訓練を終えて , 各部隊に 転属命令が出て , 各々その部隊に 1945 年 1 月 20 日に行くこと になっていました。その日 , 空襲があり , 山陽本線の明石駅付近 が不通となり , 福知山線経由にて入隊時刻に遅れて広島駅に着く と , 憲兵が待っていて , 全員を軍用車で宇品港へ向い , 船で部隊に 到着しました。5 時間遅れの夕食を食べ , 整備部隊での訓練が始
まったのです。ここに集められたのは , 長男ばかりでした。長男 れました。6 月 10 日 , ひとりっ子である 4 人が , 広島市内の通信 は爆心地から 1 ?である) 。
だから , 整備するだけで , 特別攻撃隊にはなれないようにおもわ 部隊に転属となり , 彼らは喜んで出発しました(彼らの行った所 6 月 12 日 , 残りの我々も , 江田島の幸ノ浦の特別攻撃隊訓練 れらは爆心地から 13 キロであった) 。8 月 5 日 , 夜間演習で , 江
所へ転属が命ぜられ , 特攻隊員としての訓練が始まりました(わ 田島一周することになりました。先頭の船は羅針盤を持って行
きますが , 後続の舟は前の船の航跡を頼りに進みます。夜光虫が スクリューにかき回されて光ってくれるので , それを頼りに進む ことができました。6 日早朝に部隊近くまで来たとき , 警戒警報
が出て , 船を無人島の島影に避難しました。空襲警報も出ました が ,B29 の 3 機が通り過ぎただけで日本海に出たので , 警戒警報 も解除になり , 船を部隊に戻し , 内務班で朝食を食べ始めました。 一口食べたところで , ピカーと光が , 続いて爆風が砂浜を巻き上 げて飛び込んできました。皆 , 裸足で山へ逃げて広島の方を見ま した。かぼちゃ型のピンク色の雲がもくもくと上り , 白い雲が続 き ,1000m にも達したと言われますが , そのものすごい光景は ,
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