われ広島にありき
- カテゴリ: われ広島にありき
- 作成日: 2009/06/22 16:31:36
- 要約:
- ページ: 3
- 筆には十分あわせられないほどです。その下で ,4 人の通信部隊へ 転属したひとりっ子は全員死んでしまいました。 その時 ,「こらっ , 裸足でなんじゃ。 」とどなられました。その
隊長の足を見ると , 裸足だったので , そっと指差しをしたら笑顔 になり ,「驚いたな。 」と言われました。広島で何があったのか , に最初に落ちた原子爆弾であったのです。 ガスタンクでも爆発したのか , と話しましたが , これが人類の上 それともしらず , 救援作業に 8 月 15 日の朝まで広島に居続け
なければなりませんでした。夜間演習をした中隊は , 昼まで内務 班で待機していましたが , 他の中隊は船舶で怪我をした人々を似 島へ運んでいました。我らは午後 2 時に宇品港に上陸し , 各班単 位で救援活動するように , と命令されました。陸上にあった部隊 はほとんど全滅の状態で , 宇品港の陸軍船舶練習部長が広島軍司 てくることが命ぜられ , 広島のことを知っている班員が道案内を すると言うので , 先頭に立てて進みました。 少し行くと , 彼が黒カバンを見つけました。班長として , 何が 令官を兼任することになりました。まず , 生きている人を救出し
入っているのか開けてみると , 東京市罹災証明ともう一つの市の バンを捨て , 港の方へ歩かれたのだろうと思います。そう言えば ,
罹災証明が入っていました。ここまで歩いてきても , 力尽きてカ 広島は原爆が落ちるまで空襲はなく , 安全な所と思われたので その時 , この原爆に打たれ , 救護所へ向われたのでしょう。人の うわさ話を信じたためにこの目に合われたことと思います。 聖書のみことば 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく , その道は広い からです。そして , そこからはいって行く者が多いのです。いの
-3-
しょう。そのために , ここまで来て家をさがしていたのでしょう。
ちに至る門は小さく , その道は狭く , それを見出す者はまれです。 」
- ▲TOP